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就労支援・所得保障・ワークフェア――アメリカの福祉政策をもとに

小林 勇人 20100601 
『現代思想』(特集:ベーシックインカム)38(8): 182-95.


cf.  http://www.arsvi.com/m/gs201006.htm

*以下、一部分を掲載しますが、あくまでも「草稿」からの抜粋です。関心のある方は、お買い求め頂ければ幸いです。


「貧困の除去をおしすすめるために貧困者はどのように組織され得るのか? いかにすれば広範な基盤をもつ運動が展開されるとともに、活動家勢力の最近の混乱が食いとめられ得るのか? これらの問いに、今日、活動家は直面し、当惑している。われわれの目的は、公民権団体、戦闘的な反貧困集団および貧困者が収斂する基盤を生み出すような戦略を前進させることである。もしこの戦略が遂行されるならば、政治的な危機が生じ、その結果、年間保証所得の立法化、およびそれによる貧困の解決に至るであろう。」(Cloward and Piven 1966: 510=1973: 363)

1.はじめに:BIとワークフェア

 全ての個人が生活に必要な所得を無条件で得る権利をもつ。このシンプルだがインパクトのあるアイディアは、ベーシック・インカム(Basic Income: BI)と呼ばれる。BIは、働き方や家族のあり方といった私たちの価値観を揺さぶらずにはいない。だがBIを支持するにせよ、批判するにせよ、構想を実行に移す、すなわち制度化について考えてみると、実現の可能性は皆無に近いと思われるかもしれない。しかし、そう遠くはない昔のアメリカにおいて、BIは運動のなかから要求されるとともに、BI的な要素を持つ案が制度化の一歩手前まで進んだのであった。

 冒頭に掲げたエピグラフは、クロワードとピベンによる「貧困者の影響力――貧困を解決するための戦略」と題された論文からの引用であり、文中、年間保証所得(guaranteed annual income)とあるのがBIに他ならない 。この戦略の基盤となったのは、福祉(日本における生活保護)の捕捉率の低さであった。補足率とは、福祉を受給する資格がある者のなかで実際に受給できている貧困者の割合を示す。彼らは、1960年代前後のニューヨーク市において福祉の捕捉率が控えめに見積もってもおよそ50%しかないことを紹介した。そして、この捕捉率の低さは偶然ではなく福祉制度に必要不可欠な特徴であると批判し、福祉の受給資格がある者が福祉を受給できるようにする運動の組織化を要請する一方で、受給者数を二倍、三倍にすることは、既存の福祉制度を根本的に改革する圧力になると考えた。その運動の延長線上に、適切な所得水準を確保するとともに所得に対する権利を保障するものとしてBIの実現を位置づけ、BIを基盤に貧困の解決を模索したのであった。

 1960年代のケネディ、ジョンソン政権下のアメリカでは、貧困が再発見されるなかで、「貧困との戦い」をスローガンに様々な貧困政策が実施された。クロワードは1960年初期から公民権運動とも連携しながら貧困問題に取り組み、連邦政府の貧困政策に影響を与えていた。他方で、彼らの取り組みは、連邦政府の貧困政策を媒介にしながら、草の根の運動で広がっていた福祉に抗議するグループが結束して1967年に全米福祉権組織(National Welfare Rights Organization)が発足することに繋がっていった。受給者の大半は黒人シングル・マザーであったが、より高水準の福祉給付、福祉行政の改革、貧困層へのBI(年間保証所得)などを求めて展開されたのであった。

 公民権運動の隆盛によって黒人問題と結びつくかたちでの貧困問題への対応を迫られた連邦政府は、リベラルな福祉政策を中心に貧困対策を行うことになった。だが福祉制度はもともと死別した白人寡婦を想定して作られていたため、福祉権運動の展開を通して福祉受給者数が激増するなかで、人種とジェンダーが複雑に交錯しながら福祉が問題視されるようになった。他方で、貧困対策の効果がでないことに加えてワーキング・プアの存在が明らかになるなかで、BIは連邦政府からも注目されるようになっていた。このようななか1969年にニクソン政権下で抜本的な福祉改革案が提起されることになったが、同案にはBI的な要素も含まれていた。

 しかし、このニクソン政権下の福祉改革案こそ、ワークフェアという語を全米に広めたのであり、審議過程を通して全米に勤労倫理と家族規範についての論争を喚起し、その後のアメリカの福祉改革を方向付けることになった。すなわち、ワークフェア的な方向での福祉改革が進行し、ワークフェアは四半世紀をかけて連邦政府の制度として実現したのであった 。

 ワークフェア(workfare)とは、workとwelfareの合成語であり、広義には就労と社会保障を連携させる政策を指す。発生国であるアメリカのワークフェアは、狭義のものに相当するが、就労可能な福祉(公的扶助)受給者に受給条件として労働や労働に関連する活動(職業訓練・教育プログラムなど)への参加を義務づける政策を意味する。

 ワークフェアという語そのものは1968年に南部公民権運動の指導者チャールズ・エヴァーズによって考案された。だがワークフェアを就労可能であるにもかかわらず就労困難な貧困層に対して行われる就労支援として捉えるならば、その起源はイギリスにおける救貧法制の時期が想起されるかもしれない。あるいはイギリスの救貧法の流れを受けたアメリカ社会福祉の黎明期である救貧事業や社会事業の行われた時期が該当するかもしれない。

 だがワークフェアが救貧法と似たアイディアに基づく政策であっても、公的扶助が確立される前と後では、政策の運用のされ方が異なると考えられる。公的扶助が確立される前は、失業・貧困問題への施策は基本的には雇用政策が担うことになる。だが形式的にであっても公的扶助が確立された後では、失業・貧困問題に対して公的扶助制度が利用されることになる。そのため失業者数や貧困者数が増加すると公的扶助の受給者数や費用の増加が懸念されるようになる。そこで公的扶助の費用抑制と失業・貧困対策の両方が課題となり両者が交錯するなかでワークフェアが実施されると考えられる。ワークフェアは福祉に労働を結びつけるものであり、福祉すなわち公的扶助が確立されてからでなければワークフェアの発生もない。

 ではアメリカにおいて公的扶助が確立された時期はいつ頃になるのであろうか。一般的には社会保障法の成立によって公的扶助が制度的に確立された1935年以降の時期とみなされるであろう。しかし、公的扶助の受給資格があっても申請が却下されるなどしたため、受給資格を満たせば扶助が受けられるようになるまでには、1960年代の公民権運動の隆盛とそれに続く福祉権運動の進展をまたなければならなかった。

 黒人シングル・マザーたちによって福祉権運動で要求されたBIは、勤労倫理ならびに家族規範を脅かすものとみなされたため、それらの価値観を再確認・強化するものとしてワークフェアが要請されたのであった。すなわち、アメリカにおいて福祉権運動の延長上になされたBIの要求とワークフェアの発生が同時代のことであったのは偶然ではない。

 以下本稿では、第一に、人種やジェンダーの観点を交えながら1960年代のケネディ、ジョンソン政権下の福祉政策を概観し、第二に、チャールズ・エヴァーズの戦略を分析することで福祉政策の背景にある人種問題を確認し、第三に、ニクソンの福祉改革案の審議過程を分析することで、第四に、就労支援・所得保障・ワークフェアの関連について考察する 。



2.アメリカの福祉政策
3.チャールズ・エヴァーズの戦略
4.ニクソンの福祉改革案の審議と帰結
5.就労支援・所得保障・ワークフェア

文献


(こばやし はやと・社会政策学/福祉社会学)





[言及・紹介]

◆土屋和代,20120525,「アメリカの福祉権運動と人種、階級、ジェンダー――『ワークフェア』との闘い」油井大三郎編『越境する一九六〇年代――米国・日本・西欧の国際比較』彩流社,161-83.

◆ 20100601 立岩真也 「『ベーシックインカム』の続き」『現代思想』38(8): 38-49.

UP:20100804 REV:20140318
ワークフェア文献表 ◇ワークフェア・データベース

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