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「書評:根岸毅宏『アメリカの福祉改革』

小林勇人 20080531
日本社会福祉学会発行『社会福祉学』49(1): 199-201.

脱稿:2007.11.21


*以下、全文を掲載しますが、あくまでも「草稿」です。

1.はじめに

 本書は、全10巻のシリーズ「アメリカの財政と福祉国家」(渋谷博史監修)の9巻目であり、著者のこれまでの論文を取りまとめる一方で大幅に加筆して再構成したものである。福祉国家の再編期である現代において各国がアメリカ的な方向へ福祉改革を推進し、日本でも自立支援政策が展開されるなかで、本書が刊行された意義は大きい。現金扶助を中心としつつも税控除を含む様々な関連領域に目配りがなされていて、本書はアメリカの福祉改革を包括的に知るには格好の著であり、分野横断的に読者を獲得することになるであろう。なお本書では、福祉改革の過程に分析の焦点が置かれており、著者のこれまでの論文における各制度の詳細な説明は大幅に圧縮されている。従って、本書によって福祉改革の全体像を把握した後に、個別の主題(例えば現金扶助の受給資格や給付額の決め方、ニクソンの福祉改革案、税控除の難解な仕組みや意義など)に関心を持たれた読者には、個々の論文を読まれることをお勧めしたい。以下、本書の特色と構成を述べたうえで論評を行う。

2.本書の特色と構成

 本書の特色は、就労促進と分権化という2つの視角から、現金扶助を中心に制度的変遷を丹念に描き出すことによって、アメリカの福祉改革の本質を解明しようとした点にある。アメリカの福祉改革といえば就労促進の側面が想起されるが、就労促進を分権化のなかに位置付けて考察した先行研究は少ない。本書は、就労促進と分権化が同時に進行する過程をウェイバー条項やEITC(勤労所得税控除)をもとに実証した点で画期的といえる。就労促進の側面ばかりに気をとられがちであった評者は多大な刺激を受けた。

 本書の構成は以下の通りである。序章で、上述の分析視角が提示され、それを基に「アメリカ的な福祉の枠組み」としてアメリカ的な自由主義と連邦制が設定される。第1章で、福祉制度の創出期である1930年代と拡充期である1960年代から1970年代初頭にかけての中央集権的な公的扶助の構想や改革の検討が行われる。福祉改革の歴史的過程で、就労促進と分権化がどのように論点になっていたのか指摘される。第2章で、1980年代以降の福祉改革の課題であった「福祉依存」問題について、背景にある貧困や福祉の実態が統計資料によって確認され、どのような解決策が提案されたのか紹介される。リベラル・保守・中道各派の代表的な論者の公聴会における議論が検討され、リベラル派の主張が説得力を失うなかで保守派の圧力を受けながら中道派が中心となって、就労促進を強調する方向にコンセンサスが形成されたことが論じられる。第3章で、1980年代から1990年代初頭までの福祉改革の政策手段として、連邦の補助金に関わるウェイバー条項と連邦所得税制であるEITCの歴史的経緯が詳細に論じられるとともに、その意義が考察される。ウェイバー条項の活用によって連邦政府が州政府に就労促進策を奨励することが可能になるとともに分権化も進展したこと、ならびに所得保障制度のなかで現金扶助からEITCに重点が移行してきたことが、実証される。第4章で、1996年福祉改革法によって連邦レベルでどのように公的扶助制度が組み替えられたのか、またその結果州・地方政府がどのような政策運営を行うようになったのかが、ニューヨーク市の事例を通して明らかにされる。終章で、分権化と同時に進行する福祉改革において州政府ごとの多様性が確認され、今後の課題として、福祉と就労促進の現場に近い州・地方レベルでの実証的な研究を通した分権的な連邦制の解明が設定される。

3.論評

 40年余りに及ぶ福祉改革の過程を現金扶助の転換を中心に包括的かつ詳細に分析した本書のすべてについて論評するのは困難である。そのため、就労困難な者にとっては体系的な就労促進策よりもむしろ現金扶助が必要であり有効なのではないかという評者の関心に引き付けて、以下3点の疑問を提示するかたちで焦点を絞り論評したい。

3-1. 「福祉依存」をどう評価するか

 福祉改革のなかで「福祉依存」はしばしば問題にされる主題であるが、本書ではそれがどのようなファクトに基づくのかが明らかにされている。受給期間の長さについては、「長期的な福祉依存者は受給者の2割強であるにもかかわらず、ある1日だけを見ると、長期的な福祉依存者が半数以上を占める」(62頁)仕組みについて、例を挙げて分かりやすく説明されている。そのうえで、1960年代以降の女性の労働参加率が統計資料で確認され、福祉(AFDC)依存の批判者の主張が以下のように代弁される。


…次のような批判があったと考えられよう。AFDCを受給する母子家族の多くは、婚姻外出産を理由に受給を開始し、それを受給しているがゆえに、母親の就労が一般的になっているにもかかわらず、とくに寡婦や離婚・別居した母親はその多くが就労しているにもかかわらず、就労しないで家庭内で児童を養育している。これに、AFDC受給者に対してしばしば言及される長期的な福祉依存が加わると、婚姻外出産を理由に受給を開始する母子家族は長期にわたり福祉に依存し、就労しない生活スタイルを身につけることになる。(65頁)


 ここでは、批判者の代弁ではなく、あたかも福祉受給者が「長期にわたり福祉に依存し、就労しない生活スタイルを身につけることになる」という事実を著者が記述しているかのようにも読める。そのため著者の「福祉依存」に対する評価を尋ねたい。

3-2. アメリカの福祉改革は成功したのか

 本書を通読して、福祉改革の歴史的変容過程の動態が持つ迫力に圧倒される一方で、1996年福祉改革法以後の福祉はEITCを中心とする新たな局面に入ったように思われる。だとすれば著者はアメリカの福祉改革を総じてどう評価しているのか。

 著者は、第4章で、1996年福祉改革法以後のニューヨーク市の事例を考察する際に、女性の教育・キャリア開発センターによる「自立生活水準」という基準に注目する。これは必需品(住宅、保育、食料、交通、医療など)を満たして自立した生活を送るための基準である。そして稼得所得だけで考えると自立するためには時給25ドル弱の仕事が必要になるが、福祉から脱却して働く人の平均年収15780ドル(時給8ドルの「付添婦」の水準に該当)を踏まえて、「たくさんの就労支援策を受給できれば、…、自立生活水準に近い生活を送ることは可能」(194頁)と判断する。

 しかし、公営住宅や住宅補助ならびに保育サービスの待機者が多いという事実が指摘され、「フル・タイムで就労できようとも、稼得所得の不足を全面的に補う給付とサービスは提供されない」(196頁)と論じられる。すなわち、福祉改革によって福祉から脱却して就労したとしても、その大半の者にとって就労を通した自立は不可能であることが明らかにされているのではないだろうか。だとすれば、結論として明示的に主張されてもいいのではないだろうか。

 他方で著者は、第3章で、EITCの効果を分析するために、就労を通した自立の<機会>があるかどうかという観点から、民主党系のシンクタンクが提起した就労賃金保証の基準を敷衍して、「貧困ライン=稼得所得+EITC+食料スタンプ−(所得税+社会保障税)」と定式化する。そして「就労賃金保証の式を所得保障の前提にするならば、アメリカの所得保障は自立の機会を提供しているといえる。…、EITCと食料スタンプという支援を受ければ、最低賃金でも貧困ラインを上回ることができるのである」(128頁)と結論付ける。

 確かにEITCの効果は認められるものの、前述のニューヨーク市の事例の考察にはEITCが含まれていない。そのため本書全体を読み終えた後、同市の事例では、EITCを含めて考えると就労を通した自立の<機会>が提供されているのかどうかが気になる。また逆に、EITCの分析では、労働賃金保証の基準が採用され必需品が考慮されないため、EITCを用いても自立生活水準に及ばず自立の<機会>は提供されていないのではないかという疑問が生じる。

3-3. 就労促進と分権化はどのように関連するのか

 本書は、就労と分権という2つの分析視角から福祉改革の制度的変遷を時間軸に沿って詳細に分析していて、内容的に分かりやすいとともに統計資料に裏付けられた説得力がある。だがそれだけに、福祉改革の過程において就労促進と分権化がどのように絡み合っていったのかに関心が高まる。そこで以下あえて論争喚起的に、就労促進と分権化の関連を分析するための視座について論点を提示したい。

 本書で論じられるように、1980年代以降の福祉改革の課題は、「福祉依存」という問題を解決するとともに、納税者が租税資金の使い方として納得するような「効率的かつ的確な」福祉政策を実施することであった。そのなかで1980年代前半のレーガン政権による福祉抑制策は、「主として財政再建のための『小さな政府』政策の一環という面を持つが、その背後には、自立を阻害する福祉のマイナスの影響を取り除く意味での『小さな政府』の考え方もあった」(6頁)とされる。

 だが評者は「福祉のマイナスの影響を取り除く」という意味には「強い政府」の考え方もあったと判断する。レーガン政権下の福祉改革では、主目的である支出削減という制約のもとで「就労を通した自立」という目的が後景化していくなかで、「就労」のみが前面に打ち出されるようになったと考えられる。そのため支出を削減するという観点から「効率的」であり、雇用可能であるにもかかわらず働かない「福祉依存者」を働かせるという観点から「的確な」福祉政策の実施が模索されたのではないだろうか。だとすれば、連邦政府の支出を削減するという意味で「小さい」、就労優先の方針を州政府に貫徹させるという意味で「強い」、いわゆる「小さくて強い政府」という視座が、1980年代以降の福祉改革の分析には有効ではないだろうか。というのも、例えば連邦政府の補助金を就労促進ではなく現金扶助に用いたい州政府にとって、福祉改革の過程は裁量を奪われる過程であったようにも思われるからである。

 最後に、就労促進と分権化の関連について、あとがきで述べられていた以下の問いが示唆に富む。「州政府がリスクを冒しても裁量性の高い包括補助金を選び、連邦政府から自立することと、福祉受給者がカウンティ政府から自立することは、同じであり、こうした自立の意識が人々の間に浸透しているのか」(222頁)。これを、州・地方政府も福祉受給者もともに「小さくて強い」連邦政府から「自立」を迫られているとは捉えられないだろうか。またこの観点からEITCの難解な意義もより良く把握できるのかもしれない。いずれにしても、アメリカの福祉改革を分析するうえで就労促進と分権化の関連に注目した著者の着眼点は鋭く、今後の課題に設定された分権的な連邦制の解明に期待が高まる。


UP:20071128 REV:20080613,15
根岸毅宏 ◇アメリカのワークフェア ◇ニューヨークのワークフェア ◇データベース

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