論題:失業者は就労を強制されるべきか?
The International Debate Education Association (IDEA)
http://www.idebate.org/index.php からの翻訳。このサイトはテーマ毎にディベートが組んであると同時に有益な参考文献やリンクも掲載されている。現在は、HPにこの文章は掲載されてないが、本(The debatabase book: a must-have guide for successful debate)として出版されている。
賛成
@失業者を生活保護金のために働かせるのは依存の文化を断ち切る。何もせずに失業手当を受け取ることは、個人を国家に過度に依存させ無気力と怠惰を助長する。これは部分的に、長期失業者と学校を卒業して以来賃労働の職を決して持ったことがない人々に当てはまる。生活保護金と生産的労働を結びつけることは、これらの元手なしに儲けるという前提に異議申し立てをし、国家には納税者の寛容さの代償として何かを要求する権利があることを示す。
Aワークフェアは失業者に貧困から抜け出す手段を提供するが、その手段は彼ら自身にとって適切な仕事の確保を彼らに用意することによってである。生産的な労働は、自尊心を増大することによって関係者の期待を膨らませ、能力についての一層の自信を持たせる。それはまた労働に連携する技術を発展させる。例えば、時間を守ること、やりとりの指示、チーム労働、責任を引き受けること、優先順位を付けることである。そのような技術は平凡であるように思われるかもしれないが、それらは使用者にとって貴重である。また長期失業者におけるそれらの技術の欠落は彼らが職に就くのが困難である主要な理由である。
B失業者に生活保護金のために就労させることは、給付を主張するがあまり仕事を探していない人々の虚勢を喚起する。そのようなたかり屋には矯正できない怠け者を含む。彼らは賃労働に就きながら福祉を要求することによって納税者からだましとる。また彼らは不法雇用で働いている。伝統的な元手なしに儲けるという福祉構想からワークフェア制度への移行は、これらの個人全てに、国家の負担になることを止めさせ、福祉受給者数を急速に削減し、政府が真に援助が必要な人々の支援に集中することを可能にする。
Cワークフェア構想の費用は人々と経済への投資である。すなわち人々は貧困から抜け出す機会を獲得し、経済はより良い労働供給から利益を得る。そのような構想は、何もしないことに対して単に給付金を配ることより、一人当たりにつきより多くの費用がかかるかもしれない。けれどもそれらの構想は不正な受給者を抑制することができ全体としては安上がりなのだ。失業者を実質的な仕事に移転する際の成功はまた、税収と増加する消費者支出を通して、政府と広範囲の経済の利益になる。
D社会はまたワークフェア構想に従事する人々によってなされる仕事から利益を得る。これらは地方の共同体の環境改善、高齢者や障害者の支援サービス、慈善事業や地方の当局のための仕事を含むであろう。多くの場合それらが提供する仕事は、他の方法では利用できなかったであろう。だからそれらが全員の生活の質に付け足すものは、その構想への歓迎されるおまけである。
Eワークフェアのプロジェクトは、低賃金労働に取って代わらないように設計され得る。しばしばワークフェア構想は、地方の雇用市場への否定的な影響を避けるために、意図的に非営利組織に限られている。いかなる場合でも、多くの超低賃金労働者は、他により良い仕事を見つける前に、比較的短時間そのような仕事行うのみである。それ故これはワークフェアによって破棄される義務がある硬直した労働力のセクターでははい。
反対
@ワークフェアの構想は、貧困者や失業者を卑しめている。というのも彼らは奴隷的労働として扱われるからだ。誰もが自発的に国の生活保護によって提供される非常に低い収入で暮らそうとはしない。それどころか、人々は自分達の誤りを通して失業になったのではない。ワークフェアは、彼らは怠惰であり国家の強制によって労働を強いられる必要があると烙印を押す。この構想はこれらの関係者の才能や大望を無視し、典型的に彼らを単調で退屈な仕事や、役に立たない技術を教える単純労働のために使用する。
Aワークフェア構想は、世の中に人々が行う仕事がなければほとんど役に立たない―その何かは幅広い経済的な業務の問題である。しばしば使用者が実際に要求する技術は読み書き能力、初歩的な計算能力や、現代の情報科学技術への精通である。だが単調で退屈な不必要な仕事は、失業者にこれらの技術を提供する可能性は低い。その代わりに適切な教育や訓練の構想に投資することはずっと良い。たとえそのような技術がワークフェア構想を通して発展させられるとしても、人々をそのような労働に強いることは彼らが利益を得ていることを真に意味するだろうか。長期失業者の多くは、高齢で、衰えている産業から余剰人員とされている。彼らは技術を欠いてはいないが、代わりに使用者から年齢による差別を被っている。最後に失業者が強いられる「ワークフェア」の仕事が本当にしなければならない仕事ならば、単純に彼らはそれらを行うよう通常の手段で(国家か私企業によって)雇われるべきである。
B失業者をワークフェア構想の中に置くことは、実際には彼らの仕事を探す機会を制限する。というのも不必要な作業のために彼らを出頭させる時、彼らは求人を探し、出願書類に記入し、面接に出席できるたであろう。たとえ失業手当を要求する人々の数が、そのような構想の脅威によって減ったとしても、それは必ずしも彼らを生活保護受給者名簿から去らせるわけではない。例えば彼らは障害手当金のような他の給付金を要求するように追い込まれるかもしれない。他の者は、ワークフェアのプログラムに強いられることより収入のための犯罪に走ることを好むかもしれない。
Cワークフェアは、伝統的な失業手当よりも実際はより費用のかかる選択肢である。というのも失業者は究極的には、少なくとも納税者のお金と同量のお金を与えられるが、国家はまたその構想の設置費用や、器具、監督の賃金、移動や育児の費用などを支払わなければならないからだ。不景気において、失業者の数が大幅に上昇する時、ワークフェア構想の費用は非常に高くなり政策の破綻に至るであろう。
Dワークフェア構想を強いられる個人は、高い水準まで働く動機に欠けており、活発に不満を抱いているかもしれない。それ故彼らが行う仕事は、誰にたいしても多くの利益を与える可能性は低く、多くの安全性の問題を引き起こす。すなわち、ワークフェアの労働によって建てられた橋を渡るだろうか?ワークフェア介護者に高齢の両親や就学前児童を任せるだろうか?お金を扱うことが要請される仕事に彼らを任せるだろうか?これらの制約を考えると、強いられた労働者が行うのに十分にやりがいがあることを政府が見つけられないのは明らかである。
E ワークフェアは、既に働いているが非常に低い賃金である人々に悪影響を与える。なぜなら彼らの単調で退屈な仕事は、ワークフェアのプロジェクトが提供するだろう類の労働であるからだ。仮にワークフェア班にそれを安価に行わせることができたとしても、なぜ地方の当局が人々にごみを拾うあるいは道路を舗装するために支払うべきなのか?仮に低賃金労働が取って代わられるならば、最終的な結果はより高い失業であるかもしれない。たとえワークフェアのプロジェクトが慈善や非営利集団に限られているとしても、国家がこれらの自発性に対して責任を負っているので、それらは活発な市民権やボランティア精神の意欲を減退させる。
*作成:
小林勇人
UP: 20040824... REV:20100808