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佐藤千登勢著『アメリカの福祉改革とジェンダー――「福祉から就労へ」は成功したのか?』

小林勇人, 2015/**/**, 「佐藤千登勢著『アメリカの福祉改革とジェンダー――「福祉から就労へ」は成功したのか?』」法政大学大原社会問題研究所発行『大原社会問題研究所雑誌』***: **-**.
脱稿:2015.09.15



*以下、全文を掲載しますが、あくまでも「草稿」です。


1 はじめに

 本書は、著者のこれまでの論文を(部分的に書き下ろしを加えて)まとめた論文集であるとともに、長年歴史研究を続けてきた著者による同時代的な研究の試みでもある。再編期にある福祉国家では労働と福祉の結びつきを強化する方向で福祉改革が進展しているが、本書はアメリカの福祉改革をジェンダーの視点から考察し女性の貧困問題に挑む労作である。日本でも「貧困の女性化」、特に女性のワーキングプア問題が深刻ななか、アメリカを参照しながら生活保護改革が進展しており、本書から得られる含意は大きい。以下、本書の構成と特色を述べたうえで論評を行う。

2 本書の構成と特色

 「序論」で、本書の目的として、1990年代のアメリカの福祉改革が「既存の社会福祉制度をどのように変容させたのか」(10頁)をジェンダーに焦点を当て考察することと、「福祉と労働の結節点に置かれた貧しい女性が直面している問題を明らかにし、福祉国家とジェンダーをめぐる議論の中にアメリカの福祉改革を位置づけていく」(12頁)ことが設定される。主な考察対象となるアメリカの福祉改革とは、児童のいる貧困家族に対する現金扶助の改革(1996年福祉改革法によるAFDCからTANFへの置換)である。同改革によって、現金扶助は権利としての性質を失い、就労可能な受給者は受給期限(生涯で5年)が設けられ労働が義務付けられるとともに、「福祉から就労へ」と呼ばれる就労支援政策が強化されるようになった。しかし、受給者の大半はシングルマザーであり、同改革によって貧しい女性が抱える問題は解決されたのか、というのが著者の問題意識である。

 本書の最大の特色は、福祉国家がジェンダーに対して持つ両義性の議論を参照しながら、アメリカの福祉改革が貧しい女性に与えた影響を、福祉と労働の両面から考察するという着眼点にある。第一に、福祉国家は社会福祉制度を通して、貧しい女性に対して現金給付や現物給付などの支援を行う一方で、性別役割分業やジェンダー規範を強化・再生産している。第二に、福祉国家は社会サービス関連の職種を通して、女性の就労を促進しジェンダー平等を推進する一方で、労働市場における性別職務分離を強化する。両義的な機能をもつ社会福祉制度の変容について、「福祉国家の受益者」としての女性と「福祉国家を支える労働者」としての女性の両面から考察が試みられる。

 福祉と労働の両面を考察するうえで著者がAFDC改革とともに注目するのが、低所得者への医療扶助制度(メディケイド)改革である。国民皆保険制度が存在しないアメリカでは、主な公的医療保障制度として、メディケイドの他に65歳以上の高齢者と一部の障害者を対象とする公的医療保険制度(メディケア)がある。またアメリカには日本の介護保険に相当する制度がなく、メディケアでは長期的介護に関わる費用は負担の対象外である。そのため介護が必要な高齢者は、民間の介護サービスを自費で購入するか、経済的な余裕のない場合、メディケイドを財源とした公的な介護サービスを受けることになる(105頁)。だが少子高齢化や女性の就労率の上昇、単身世帯の増加等によって、自宅での家族(大半は女性)による無償介護が減少するなかで、メディケイドにおける長期的介護の費用が増大し、費用抑制のための改革が実施されるようになった。同改革によって影響を受ける介護労働者の大半は女性であり、介護労働は低賃金で労働条件が悪い「女性の仕事」の典型例でもある。そこで著者は、AFDCのみならずメディケイドまで含めた「広義の社会福祉制度の転換」(15頁)を考察しようと試みる。

 「第一章 1996 年福祉改革法とジェンダー――福祉受給者としての女性――」では、1996年福祉改革法が「未婚」の母親に結婚を奨励し婚外子を減少させることによって福祉受給者数を削減することをも意図している点に注目して、同法の成立過程や実施状況の分析が行われる。同法には、共和党保守派による伝統的な家族の価値観と、共和党穏健派と民主党の一部の女性議員による白人中産階級のジェンダー観が共存しているが、両者とも貧困な非白人シングルマザーの実情とずれていることが明らかにされる。具体的には、10代の妊娠と婚外子を減らす政策、ファミリー・キャップ(福祉受給中に出産しても追加的な給付を認めない政策)、子の父親の扶養義務の強化、補助金による保育サービスの利用率の低さなどの問題が検討される。

 「第二章 福祉改革と就労支援――女性福祉受給者の賃金労働への就労――」では、1996年福祉改革法による就労支援と就労状況が、カリフォルニア州の事例を通して検討される。就労支援では、福祉受給女性に求められる理想像が、勤勉で長時間の困難な仕事に耐え得る男性的資質と、愛想がよく親切で思いやりがあり自己を犠牲にして働く「女性的な資質」を併せ持ったものであることなどが注目される。また就労状況では、ロサンゼルス郡の事例によって、就労支援参加後に低賃金で条件の悪い「女性の仕事」に就かされている者を中心に検討が行われる。8割以上を女性が占める福祉受給者に対する就労支援が、性別職務分離を固定化させている点が問題視される。

 「第三章 福祉改革と市民権――1996 年福祉改革法の移民への影響――」では、1996年福祉改革法が、TANFに加えてメディケイドや、高齢者や障害者に対する現金扶助である補足的保障所得(SSI)や、食料扶助であるフードスタンプについて、費用節減のために移民の受給資格を厳格化した点が注目される。同法制定前は、合法移民はアメリカ市民とほぼ同一の条件で公的扶助を受給できたが、同法によって市民権の有無、在留資格、アメリカへの入国時期などに関する規定が新たに設けられ、移民の公的扶助受給が大きく制限されるようになった。例えば、同法制定後に入国した合法移民は、アメリカでの滞在年数が5年に達するまでTANFとメディケイドの受給資格は与えられず、5年の経過後に給付を行うか否かは各州の判断に委ねられることになった。同改革に対して、貧困な移民女性を中心に市民権を取得して福祉を受給することの是非が検討される。

 「第四章 メディケイドの削減と介護労働――カリフォルニア州在宅支援サービス(IHSS)とジェンダー――」では、メディケイドの費用節減改革が高齢者介護の労働者に及ぼす影響について、カリフォルニア州の事例をもとに検討される。同州では、メディケイドを財源とする独自の公的な在宅支援サービス(IHSS)制度によって、低所得の高齢者や障害者に介護サービスが提供されている。かつて自宅で介護を受けられない高齢者は施設入所が一般的であったが、近年在宅介護を受けながら地域で自立生活を営むのが望ましいという考え方が社会に定着しつつあることに加えて、施設入所よりも費用を節減できるため、在宅介護政策が積極的に推進されている。同政策の中心となる利用者主導モデルは、障害者の自立生活運動から生じ、介護を受ける本人が介護労働者の雇用や職務内容などについて直接決定権を持つというものである。同モデルは、行政から高齢者介護の人材育成・管理の費用節減効果を持つ点で注目されているが、介護労働者の待遇や労働条件を劣悪にする点で問題があるとして、家族介護の有償化の是非と関連付けて検討される。

 「第五章 メディケイドの削減と労働運動――ホームケア・ワーカーの組織化――」では、メディケイドの費用節減改革に対抗してカリフォルニア州で1990年代以降進展したIHSSの在宅介護労働者の運動が考察される。長年、在宅介護労働者のマイノリティや移民の女性は、制度上の地位が複雑なこともあって組織化が困難とみなされていた。だが国際サービス従業員組合(SEIU)によって組織化が開始され、高齢者や障害者団体と連携しながら草の根の活動が進展し、賃金の引き上げや医療保険などの付加給付の獲得、職業訓練の導入が達成された。同運動の展開過程と成功要因について、利用者との連帯や「市民」の観点から考察が行われる。

 「結論」では、AFDCからTANFへの改革が貧困問題の根本的な解決になりえないと批判されたうえで、福祉から就労への移行をさらに円滑に進めるようなシステムの確立が提案される。現状を鑑みると「受給者が自らの『市場価値』を高め、将来にわたり働き続けることができるような仕事に就くこと以外に残された道はない」(170頁)として、高等教育や職業訓練を受ける機会を増やすとともに、性別職務分離を崩すような教育や訓練を行いジェンダー中立的に人材を養成していく必要性が説かれる。


3 論評

 アメリカのAFDC受給者の大半は非白人シングルマザーであり、AFDC改革は階級・人種・ジェンダー問題が複雑に交錯したが、本書は人種問題にも目配りをしながら貧困女性の立場に立って同改革を批判しようとする。AFDC改革の「福祉から就労へ」あるいはワークフェアと呼ばれる政策を批判的に研究してきた評者にとって、筆者の問題意識に共感するところは多かった。しかし、問題へのアプローチの仕方や結論は異なる。そこで著者も重視するシングルマザーの貧困問題に焦点を絞りながら、同問題の解決に向けて今後の研究が活性化するための一助となるよう論点を指摘したい。なお本書の後半部分の在宅介護労働については非常に重要な分析が多く、これだけで一冊の本が書かれてもよいほどであるが、本書の表題に即して、また評者の守備範囲に限定するためにも、ワークフェアを中心に論評を行いたい。

3-1 AFDC改革の評価の困難さ

 AFDC改革は、就労可能な者がAFDCを受けることを「福祉依存」とみなして問題視し、就労自立を目標に就労支援への参加を義務付けるものであった。しかし、同改革を評価することには様々な困難を伴う(小林2010)。

 第一に、受給者の就労には就労支援以外に多くの要因が複雑に影響する。就労支援に参加するAFDC受給者には、雇用能力が高い者もいれば低い者もいるし、受給者の就労を阻害する要因も多様であり、また労働市場の状況も一定ではなく変化していく。たとえば、もともと雇用能力が高い者は就労支援がなくとも職に就けた可能性があるなど、就労支援がどれほど有効に機能したのかを正確に評価することは難しい。

 第二に、評価基準をどのように設定するのかという問題がある。第二章の事例では、1999年のTANF脱却者のうち就労した者の割合は50%であり、2001年に就労支援に参加して就労した者の約14%が高賃金産業、35%が中程度賃金産業、約46%が低賃金産業であった(58頁、63頁)。本書では、低賃金労働に就かされる女性の立場から改革が批判されるが、高賃金産業や中程度賃金産業に就くことができた女性の多くにとって改革は成功であったかもしれない。また低賃金労働に就いた者が、長期的にみると低賃金労働を問題視する場合でも、就労当初は中程度・高賃金労働への移行の第一歩として改革を成功とみなす場合もあるだろう。改革の成否は受給者の雇用能力に左右される一方で、評価は(受給者の判断に委ねる場合でも)長期的に行われなければならない。

 第三に、受給者のプライヴァシーなどもあって、就労支援後の就労実態を正確に把握することは困難を伴う場合が多いが、長期的な評価のために必要な長期的な追跡調査は、より一層の困難を伴う。例えば、第四章で、AFDC改革下の就労支援によって受給者が在宅介護労働を紹介されることが多いことや、IHSSの在宅介護労働者の4人に1人が福祉受給の経験があるという統計が紹介される(109頁)。しかし、受給者が紹介された介護労働に就いたかどうかは不明であるとともに、介護労働者に福祉受給経験があるからといって就労支援によって介護労働に就いたかどうかは不明である。

 以上のようなAFDC改革を評価することの困難さが一因となって、本書全体のなかで前半のAFDC改革についての第一、二、三章と、後半の介護労働についての第四、五章を、福祉改革として繋げようとする試みに幾つか齟齬が生じているように思われる。


3-2 福祉改革の包括的な分析の困難さ

 広義の社会福祉制度の変容を考察するためには、福祉改革の包括的な分析が必要となる。AFDC改革は主に第一章で詳細に分析されているものの、他のメディケイドやフードスタンプ、SSIについては、具体的にはどのような改革がなされたのか、詳細が明らかにはされなかった。特に第四、五章と関わってメディケイド改革については詳しい政策分析が必要であったように思われる。メディケイドの費用節減改革は、実際にはどのように介護労働者の賃金や待遇に影響を及ぼしたのか。また同改革全体のなかで利用者主導モデルによる費用節減効果はどれほど期待されていたのか、あるいは行政は同モデルによる利用者の権利保障には関心を持たなかったのか。

 また広義の社会福祉制度の転換のなかで、AFDC改革とメディケイド改革はどのように関連づけられるのであろうか。政策立案者は、AFDC改革によって現金扶助から就労へ移行させられる貧困女性の雇用の「受け皿」として介護労働が機能するよう、意図的にメディケイド改革を実施したのであろうか。

 国民皆保険制度が存在しないアメリカでは、民間の医療保険に加入できない低所得者にとってメディケイドの受給資格は非常に重要となる。AFDCの受給資格を有する家族は自動的にメディケイドの受給資格も有したが、AFDCの受給資格を喪失するとメディケイドの受給資格も同時に喪失した。そのためAFDC改革によってAFDC受給者数が減少するととともにメディケイド受給者数が減少すると、無保険問題が深刻となり、1980年代後半には受給資格を拡大するなどのメディケイド改革が行われた。このメディケイド改革は「公的扶助から民間保険へ」という医療扶助改革の一環として捉えられるが(中浜2010)、単に費用節減の観点だけでAFDC改革とメディケイド改革を括ることは難しいだろう。

 ある領域の政策が意図せざる結果として他の領域の政策に影響を及ぼすことも多く、複数の政策がどれだけ意図的に関連付けて実施されたかを実証するのは容易ではないため、福祉改革を包括的に分析することには困難を伴う。本書全体のなかで介護労働は、福祉改革のなかに位置づけるよりも、雇用政策や社会運動のなかに位置づけて考察したほうが、福祉国家とジェンダーをめぐる議論を参照しやすかったのではないだろうか。


3-3 福祉権

 AFDCからTANFへの改革は、雇用能力が高く高賃金の職に就くことができる者にとって、貧困問題の解決策となり得たかもしれないが、雇用能力が低く低賃金の職に就く者や職に就くことが困難な者にとって、貧困問題は依然として問題である。同改革を批判して本書で提案される就労支援の改善という解決策は、ある程度雇用能力が高い者にとっては有効かもしれない。しかし、どのように就労支援を改善しても、たとえジェンダー中立的に就労支援を行ったとしても、就労困難な者は必ず一定数存在するのであり、雇用能力が低く貧困問題を抱える者に対して、他の解決策が求められる。

 ここで歴史的経緯に留意するならば、ワークフェアへの対案の手がかりが得られるだろう。AFDCは、当初困窮している児童への現金給付であり、主に夫と死別した白人の寡婦が家庭で児童を養育できるようにすることを想定して作られ、父親のいる家族や非白人の家族の受給は制限されていた。しかし、1960年代に様々な貧困対策が実施されるなかで、AFDCも父親のいる家族や非白人の家族にまで対象が拡大されるとともに、福祉権運動の進展を通してAFDCが権利として認識されるようになり、非婚や離婚のシングルマザー世帯の受給も増加していった。その結果AFDCを受けることは、(二人親で異性婚の)家族規範と(賃労働の)勤労倫理を欠いた「依存」として非難され、受給要件として就労支援への参加を義務付ける改革が実施されるようになった。しかしAFDCは、貧困なシングルマザーに自分の子を産み育てる権利を保障していたのではないだろうか。

 福祉権運動の「仕事か、さもなければ所得保障を」という標語が示していたように、雇用能力が低く低賃金の職に就く女性や職に就くことが困難な女性にとって、権利としての所得保障は重要な意義をもつ。また女性の貧困問題の解決策として、所得保障の拡充と就労支援の拡充は決して二者択一でもない。同運動は貧困女性に「家の外で仕事をするか、家にとどまり育児という労働に専念するか、その双方を行うか」の選択を可能にする制度を求めていた(土屋2012)。すなわち女性の貧困問題に対して、所得保障を権利として保障したうえで、就労を望む者やより良い条件の労働への移行を望む者に対しては、所得保障とは切り離すかたちで積極的に就労支援を行っていく方途が示されているのではないか。

 本書では、「福祉国家の受益者」としての女性と「福祉国家を支える労働者」としての女性の共通性を考察しようと試みるが故に、貧困女性のなかの(雇用能力の高低などの)差異が遠景化してしまったように思われる。アメリカの福祉改革について階級・人種・ジェンダー問題をバランスよく考察することの困難さや重要性が、今後の研究に問われている。


参考文献

小林勇人,2010,「カリフォルニア州の福祉改革――ワークフェアの二つのモデルの競合と帰結」渋谷博史・中浜隆編『アメリカ・モデル福祉国家T――競争への補助階段』昭和堂,66-129.
中浜隆,2010,「アメリカの医療扶助改革と民間医療保険」渋谷博史・中浜隆編『アメリカ・モデル福祉国家U――リスク保障に内在する格差』昭和堂,19-66.
土屋和代,2012,「アメリカの福祉権運動と人種、階級、ジェンダー――『ワークフェア』 との闘い」油井大三郎編『越境する一九六〇年代――米国・日本・西欧の国際比較』彩流社,161-83.




UP:20151002,

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